精神的不調を抱える私ができる限り薬に頼らず自立を目指す

パニック障害、適応障害、モラハラ、共依存、別居、通院記録などについて書きます

【離婚】離婚後の義両親との付き合い

離婚後、義両親との付き合いを続けるかどうかはその人と義両親との関係次第になりますが、一般的には関わりを断つことが多いのではないかと思います。

 

私は離婚後も義母から贈り物をいただいたり、時々電話したりして、現在も細々と関係が続いています。

元旦那との間に子どもがいないにも関わらず、関係が続いていることはかなり珍しいケースだと思っています。

 

母の日が近づくと、毎年義母にお花を送っていて、非常に喜んでくれていたことを思い出します。

義母は離婚後も困ったときはいつでも頼っていいと言ってくれて、実の母よりも甘えさせてくれた特別な存在でもあります。

感謝の気持ちを伝えるため、離婚後も母の日にお花を送るかどうかずっと迷っていましたが、送らないことに決めました。

母の日にお花を送ることの意味合いを考えると、義母に少しでも元旦那との復縁の可能性を期待させてしまうかなと思ったからです。

感謝については母の日以外の機会に伝えることもできるので、そうさせていただこうと思いました。

 

離婚後の義両親との付き合い方については正解がないので自分とこれまでの義両親との関係性によって人それぞれ出す答えは違ってくるものだと感じました。

 

 

【家族関係】疎遠だった実家への帰省

昨日は疎遠だった実家に約10年ぶりに帰省をしました。

実家に対していろいろと思うところがあり、帰省するかどうか直前まで悩みましたが、

結論から言うと実家に行く決断をして本当によかったと思っています。

 

 

以下、実家に行ったことによる収穫をまとめます。

・これまで実家とあまりにも疎遠だったため、実家の情報が少なく、あることないこと懸念をたくさん考えすぎてしまっていた。現在の情報収集を行うことで、適切に情報をアップデートすることができ、悩む必要がある部分と悩む必要がない部分を切り分けることができた。

・両親は高齢になっても人は成長するんだという姿を見せてくれた。精神疾患の兄を受け入れた両親、10年前とは違った姿だった。間近に迫っている父の死について覚悟を決めて受け入れている母の姿も印象的だった。

・兄の将来を心配する両親をみて、この人たちはちゃんと兄の親なんだなと思わせてくれた。兄の将来をよろしくという趣旨のことをやはり言われたが、私が思った以上に両親は兄の将来について考えていて驚いた。

・父の終末期の過ごし方の話になったとき、母は自宅で過ごすか病院で過ごすか選んでいいと父に言った。母の父に対する覚悟と愛情を見て、久しぶりに母に対して尊敬の念を抱いた。

・父と生前に会えて本当によかった。今日で会うのが最後かもしれないとの話のもと、自分は自立して生活できており、心配はいらない。大丈夫だと伝えることができた。

・自分が実家や親亡き後の兄に対してできるサポートの範囲について伝えることができた。

 

昨日は自分の人生の中で確実に重要な日になりました。

逃げずに実家に行った自分のことをたくさん褒めてあげようと思います。

 

 

【家族関係】決行日の前日

明日の午後、約10年ぶりに実家に行くことに決めました。

少し前に父の病状の悪化に伴い、今後の話し合いをしたいと実家から連絡がありました。

今後の話し合い=子ども(私)の立場を完全に無視した自己中心的な要求をされることが明らかであったため、実家に行くべきか悩みに悩みましたが、以下の理由で行く決心をしました。

①父の病状が悪化しており、この機会を逃すともう一生会えなくなるかもしれない。(私の方は正直、父と改めて話すようなこともないですし、一生会わなくても後悔はないかとも思いましたが、父が生前に伝えたいことがあるのであれば聞いておくことをしない理由はないと思いました。)

②たまたま仕事が落ち着き、実家に行くことを想定したかのようにスケジュールに余裕ができた。(ここ最近仕事が繁忙を極めておりましたが、まるで実家に行くことが想定されているかのように珍しくピンポイントでスケジュールが空いてしまいました。これも運命だと思って受け入れようと思いました。)

③今、実家に行くことから逃げて問題と向き合わない結論を出したならば、この先父が亡くなったとき、私は問題を先送りにして都合の悪い現実から逃げた自分のことを許せなくなると思った。

 

 

中でも上記③の理由が自分の中で実家に行くことを決める一番の後押しとなりました。

私は自分のことを好きでいたいし、誇れる存在でありたいと思っています。

今、実家の問題と向き合わずに、なあなあにしてやり過ごす選択をすることも可能ですが、きっと私はそんな選択をする自分のことを好きでいられないと思います。

明日、おそらく両親(特に母)から理不尽なことを要求されたり、嫌な思いをすることが容易に想定されますが、結果ダメージを受けたとしても、逃げなかった自分に誇りをもっていられることが最大の収穫になると信じています。

明日は両親のペースに流されず、自分のペースを保つことを肝に銘じつつ、頑張って一仕事してきます。

 

 

【パニック障害】通院・漢方薬からの卒業

今日は私の精神不調についての近況をお話ししようと思います。

私は昨年6月に離婚に向けた別居を開始し、別居後1ヶ月でパニック障害適応障害を発症しました。

発症した当初は心療内科に通い、漢方薬を服用しておりましたが、今では薬を飲まなくても大丈夫なくらい回復しました。

回復した要因については様々な要素が複合的に影響していますが、1番は仕事の忙しさが良い影響をもたらしたと思っています。

パニック障害を発症した当初、仕事は閑散期で一日中やることがない日が何日も続くような日々を過ごしていました。

別居した直後は将来に対する不安や恐怖、まわりと自分を比べてしまうことによる焦り、自分の決断が間違っていたかもしれないと誰しもが常に考えてしまうような時期だと思います。

そんな時期は何かに没頭して考える時間を作らないことが大事だと今ではわかりますが、

当時は時間があり余っていたため常に自分を追い込むようなことばかり考えることができる状況下にありました。

自分を追い込んでいくうちに気づけば精神疾患になっていました。

それから月日は流れ、12月頃から仕事が繁忙期を迎えました。

閑散期から状況は一変し、朝から深夜まで働いても働いても仕事が終わらない日々が続きました。

あまりにも忙しく、病院に行く時間を捻出できなくなったことがきっかけで、心療内科への通院と漢方薬の服用を結果的に辞めることができました。

 

通院をはじめた当初、一生治らない病気なのではないかと思っていました。

何がきっかけで状況が好転するか、本当にわからないものだと思います。

私は暇な状況や誰かに必要とされない環境にいると悪い方向に物事を考えてしまう癖がある人間なんだとこれをきっかけに気づくことができたので、今後は忙しい状況を意図的に作るようなメンタルコントロールを続けていけたらいいなと思っています。

 

【家族関係】覚悟を決めるということ

今日は実家と向き合う「覚悟」についてブログに残しつつ、頭の中を整理できればと思っています。

 

私は実家と向き合う「覚悟」ができていません。

「覚悟を決める」ということは自らの責任で物事を決め、その結果起こった事柄に対しての責任を負うことであり、今後の様々な可能性や選択肢を捨てることと同義でもあると思っています。

 

実家と関わる頻度、性格に難のある母との向き合い方、病気により先の長くない父との向き合い方、精神障害を抱えた兄への親亡き後のサポートなど…私は今まで覚悟を決めるという責任の重さから逃げており、ただただ時の流れに身を任せて誤魔化してきたように思います。

自分で決めてその結果について責任を負う覚悟ができて、はじめて実家との良くない関係性に終止符を打つことができると確信を持ちました。

 

きっと覚悟を決めておけば実家で何が起きようとも私の感情が揺さぶられることはないと思います。

 

私が実家に対して何が出来るのかという視点ではなく、私は実家に対してここまでの範囲のことはするけれどもここからは関与しないとはっきり決めることができるようになりたいと強く思いました。

 

☑️実家との関わり方☑️父との関わり方

自分から交流を持ちかけない。父が生きている間に最後に1度だけ訪問し、顔を見せる。その後はお葬式以外の用事で訪問はしない。

 

いったん上記についてだけこの場で整理できたので備忘記録しておきます。

 

 

 

【家族関係】実家のことを考えたときのもやもや

実家のことを考えるともやもやします。

思い返せばそのもやもやが特に強くなったタイミングは約10年前に私が実家を出たときでした。

実家を出る直前、兄が統合失調症を発症し、家族全員混乱していました。

そんな状況下で私は彼氏(元旦那)との同棲を決めて家をでることにしました。

母に家をでることを伝えたとき、母は私を強く責めました。

「兄が統合失調症を発症し、家族がこんなに大変な状況なのだから、今こそ家族が力を合わせて乗り越える局面なんじゃないの?あなただけ逃げるように家を去るのね。」

10年も前のことなのにそう言われたのをよく覚えています。

母の言うことは図星で、私はあの実家の状況から逃げたいと思っていました。一方、私だけ逃げるということに対して大きな罪悪感も抱えていました。

10年たった今もそのときの複雑な感情を消化できずに抱え続けているんだと思います。

罪悪感から、実家から連絡がきたときは無意識に実家に良い顔をしようとしてしまいます。実家のことを考えるともやもやする原因はおそらくそこかと思われます。

 

ただ、冷静になって考えてみると何年も罪悪感を抱えるようなことではないような気がします。

時間がたった今、改めて当時を思い返すと実家の中で一番母の感情に共感し、母とコミュニケーションをとっていたのは私でしたので、私がいなくなることは母にとって相当都合が悪いことでした。そのため、母は私に罪悪感を煽る発言をしていたとも考えられます。

 

私が家を出ることを伝えるよりももっと前、彼氏ができたことを母に伝えたときから母は嫌な雰囲気をまとっていたことを思い出しました。

私が彼氏と泊まりに行くたび、遊びに行くたびに母は私に小言や嫌味を言いました。父に対していつも私の悪口を言っていました。

 

私が母のもとからいなくなることが都合が悪いというのは私が向き合うべき課題ではなく、100%母の課題です。

母が自分の課題に上手く向き合えず、私に嫌な態度をとって私をコントロールしようとしたと考えると、相当理不尽な扱いを受けていたと思います。

 

私は共感力が高く、気づけば相手の課題を自分の課題として捉えてしまう傾向にあります。

 

意識的にそうならないよう気をつけていこうと改めて認識しました。

 

 

 

 

 

【家族関係】言って欲しかった言葉

もうすぐ約10年ぶりに疎遠だった両親と会うため、気持ちの整理をしたくて今日もブログを書くことにします。

 

実家の母は闘病中の父が死に近づいていることを予感しています。

何年も実家に帰ってこないで欲しい雰囲気を醸し出していた母が急に「実家の現状を見て今後のことを考えて欲しい」と言って実家に顔を見せにくるように促したことはきっと以下の意図があると思っています。

 

・母は話し相手である父が亡くなった後、精神障害のある兄と2人で生活していくことに不安や恐怖を感じている。生前から私と関わる機会を増やしておきたい。

・母が病気で倒れたら兄は母の面倒をみることができない。そのため、私と関わる機会を増やしてサポートしてもらえるような状況をつくりたい。

 

実家に行ったら、父が亡くなりそうなくらい弱った状態で私に「母と兄をよろしく」と言ってきたら、私はなんと答えればいいのでしょうか。

 

正直、上記のような状況に直面したときの対応方法がわかりません。正解はないと思いますが、どの言葉を選んで返しても、きっと気持ちの整理はつかないと思います。

 

父の性格を考えるとこの言葉は99%言われると思います。この状況でよろしくって言うのも卑怯だなと思う反面、長年連れ添った家族を任せたいと伝えたい気持ちも痛いほどわかります。

 

私は昔から、自分の親に「何かあったら私たちが助けるよ」と言って欲しかったんだと思います。

 

離婚したときに義母から「離婚した後も私を頼っていいんだよ」と言ってもらえたとき、私は本当はこの言葉を実の両親から貰いたかったと感じました。

 

義母のためには自分を犠牲にしても少し助けたい気持ちは湧きますが、実の両親に対して何かあったときに助けたい気持ちは微塵もわいてこないことにも気がつきました。

ものすごい罪悪感はわきますが…。

 

実家に行く日まで、このように自分の気持ちを言語化することで少しずつ整理できればと思います。